サーバスの種をまいた人~ボブ・ライトワイラー
2008年1月 日本サーバス会長 西山 正廣
皆さん、明けましておめでとうございます。昨年は「偽」という文字が日本中の新聞の紙面を汚し日本人の信義も地に落ちた感がありました。今年は互いに気を引き締め、一人一人が周りの人々の信頼を裏切らない行動を取らなければならないと考えます。
日本サーバスも間もなく発足以来50年を迎えようとしています。 日本国内には約4万のボランティア団体があると言われ、私どもはその中の小さな一つに過ぎません。しかし、いかに小さな団体と言えども私たちは創立者たちの点した灯を受け継ぎ、次代に引き継ぐ任務があります。 そういう意味で今回は「サーバス」の創始者、つまりその種を蒔いた人のことを紹介したいと思います。
皆さん方の何人かはすでに「ボブ・ライトワイラー」のことをご存知のことでしょう。
しかし、他の多くの皆さんにとっては初めて聞かれる名前ではないでしょうか。 彼はアメリカ人で昨年の11月15日、満89歳の誕生日を迎えました。 今日、サーバスが世界的な組織に発展し15000人を超えるまでに成長したのは、ひとえに彼の功績によるもので、そのため彼は「グランパ・サーバス」と呼ばれています。 1999年7月31日、米国サーバス50周年式典の折、81歳のボブは「サーバスの種」という講演を行いました。 これはその要旨です。
ボブ・ライトワイラー青年はAntioch Collegeに入学し社会学を専攻しますが1年で中退します。 書物を読んだり頭をひねくり回すより社会に飛び込み、そこで暮らす人々から直接学ぶのが本当の社会学だ、と考えたからです。 第2次世界大戦が始まったとき、ガンジーの無抵抗主義の思想に感銘していた彼は「良心的徴兵拒否」の道を選び、強制収用所に入れられました。 そこで彼は社会の底辺で苦しむ人々と知り合い、「世の中を良くする」ことに目覚めます。 いろいろな書物を読んだほか、エスペラントをマスターし、入牢者仲間に教えたりもしました。
出所後、彼は自らに課題を与えヨーロッパへ2度、インドへ1回と計3回、文字通り地べたを這うような旅を試みました。 第1回目は1942年、まだ大戦の真っ只中のヨーロッパへ、第2回目は48年、北欧から英国、中東、そして3回目はインドへ。 いずれも1年以上に及ぶ長旅でした。「何が社会を繁栄に導くのか」「何が国々・地域を分裂させるのか」「戦争を招く不正、排他、偏見の根源は何か」 これらの答えを見出し、やがて世の中を良くする道を探し当てることが、彼を旅に駆り立てた命題でした。
彼はスカンジナビア半島を約1年かけて廻り、農場の手伝いをしてホームステイしたり、青年学級の教育から多くのことを学んだりしました。 ヘルシンキからの帰途、ドイツに立ち寄ったとき、一人の女性から「戦時中はナチ体制のため身動きできず、戦後は占領軍に外貨の持ち出しを制限され遠出もできません」と訴えられました。またある時、同じアメリカの青年が「スエーデンでホームステイしたんだけどお金を払わされちゃって嫌になった」とぼやくのを聞きました。
そのことから彼は、ヨーロッパ各地にある平和団体を組織して若者が自由に行き来できるようにネットワークを作ったらどうだろうか、と考えました。 それぞれの国の団体がボランティアを集約し、若者たちがそれら外国の家庭に2日間だけ無料でステイできるようにする。 すると彼らは互いのことをより良く理解し、自分の国に帰ったらそのコミュニティを良くするために頑張るだろう。
ボブ青年は早速、自分がそれまでに知り合ったいくつかの団体の代表者に声をかけました。 戦争に反対し平和のために行動する団体、和解を目指す団体、クエーカー教団などで、彼らは諸手をあげて賛成し、こうしてWork-Study-Travelと呼ばれるシステムが立ち上がりました。 彼らは始め、この生まれたばかりの組織をPeace Buildersと呼んでいましたが、主唱者のボブはそれが英語であることをいつも気にしていました。 やがてエスペラントに詳しい一人が、それなら「サーバス」と名乗ってはどうか、と言いました。 英語に直すと「奉仕する」という意味で、ボブもそれが気に入り、こうして「サーバス」という、平和を希求し互いに助け合う団体が誕生したというわけです。1952年のことでした。
ヨーロッパでサーバスの種を蒔いたボブ青年はその後、中東からインドまで足を伸ばし、訪れた先々で青年指導者たちと会いサーバスを広めていきました。彼の生き方はキリスト教の使徒パウロ、あるいは全米各地にリンゴの種を蒔いて歩いたジョニー・アップルシードを思い出させます。 彼らはいずれも使命感に燃え、自分が正しい・良いと信じたものを広めるために懸命に努力しました。
ボブ・ライトワイラーの言葉
少し長くなりますが、ボブ・ライトワイラーの言葉を引用しました。 どうぞお読みください。 サーバス活動を行ううえで示唆を与えられると思います。
- 「名所旧跡を訪ねる、外国を訪れ地元の人に風習のことを質問する、訪問地でホームステイに招待されて泊まり、その地の文化を知ったと思い込む。 これではサーバス旅行とは言えない。 サーバス・トラベラーは、はっきりした目的・課題を伴った旅行をするべきだ。 事前に十分下調べをし、いくつかの質問・テーマを作ってから訪ねる。 そうすれば訪問地の文化・風習・人々の生活や考え方などがより深く理解でき、ひいては自分の生きかたを見つめ直す機会になりえる。 人生観がすっかり変わる事だってあるだろう」
- 「サーバス・トラベラーの多くは自動車やバスで移動するが、本当は歩いて回るのが一番だ。 そして路上生活者、災害被災者、移住者、難民などの生活に関心を寄せて欲しい。 社会の底辺にいる人々を忘れてはならない」
- 「50年当時、エスペラント学習者たちは、国という枠組みを越えて世界中の人たちが兄弟のようになろう、という道を模索していた」
- 「サーバス旅行でホストや近所の市民と交じわることによって、社会を築く主役が政治家ではなく庶民だということが実感できるだろう」
- 「隣人に対する思いやりと手助け、それらが実生活の中で発揮されることによって、社会はもっと住みやすく、ぬくもりのある場所となる」
- 「サーバスの最終目的は世界中に平和をうちたてること。トラベラーが来るのをひたすら待っているだけでは、とても社会を良くすることには役立たない」
- 「地球の資源を分かち合う、互いの違いを認め合う、そしてすべての人々の尊厳に敬意を払う。 それらを日常生活の中で実践することが、世界という大地に平和という根を張らせることにつながる」